河川敷の公園に深い轍がある。普段はただの轍だが、雨が降ると水溜りになる。天気の良い日だった。前日の雨で出来たその水溜りの側に、一羽だけ降りた烏が水を飲んでいた。別に、そこで烏が水を飲もうが水浴びをしようがどうでも良いことなのだが、人間としての目から見ると、すぐ側にきれいな川があるのに、あえて突然に雨で出来た水溜りを水飲み場にすることは考えられないことで、不思議な気分で眺められた。という、どうしようもない句、、、。(2014年春詠)
カテゴリー: 2014
かつて城ありし跡とや山笑ふ
もう三月、早いですね、、、。私が散歩するのは吉井川の北岸です。その散歩コースの終点と決めているところに嵯峨井堰という大きな堰があります。その対岸にせり出すようにそびえている山を嵯峨山と言います。いろいろと歴史を紐解いていくと、その昔この山上にも城があったらしい。たぶん砦のようなものだっただろうと想像は出来ますが、そう知ってから眺めると、確かに川向こうの崖は急峻で、頂上からの見晴らしも良さそう。作州盆地一円が見渡せそうな気がします。一度登ってみたいと思っていますが、その調べたときの情報では、車で登れる道はないみたいで、、、。(2014年春詠)
春愁や犬に白髪の増えて来し
早いですね、もう二月も終わりです、、、。犬だって歳を取ると白髪が目立つようになってくる。もともとが真っ黒な犬なのでよく分かる。鼻の下の口の周り、耳の中、足の裏の肉球のところ。人間の年齢で言えば、さしあたり私ぐらいになるのだろう、私の増えて来た白髪と良い勝負になってきた。順当に行けばあの世へ行くのは犬のほうが先だが、もしかしたらその前に介護が必要になるのかも知れない。そんなことを考えていると、ちょっと春愁の気分にもなってくる。介護するのも大変だろうなあ、何しろ30キロを越えているからなあ、、、。(2014年春詠)
忘れたる事の数ほど犬ふぐり
書こうと思っていたこの句を忘れていました。ので、今年も犬ふぐりの句はもう書いたのですが、再び犬ふぐりの句です。今書かずにおくと、きっと来年は完全に忘れてしまう、、、。(2014年春詠)
初雲雀空にきのふの雨の色
気づけば空に雲雀の声がしている。まさしく春が来たことを喜んでいるように聞こえる。この辺りでは、二毛作をされているところはほとんど無く、田圃は春先に田起しをした後は、田植の準備が始まるまで平穏が保たれる。そのわずかな期間が雲雀の子育ての正念場となるのだろう、必死に空へ登っては下ってくる。では、田植の準備が始まったらどうなるのだろう?と心配もするが、それはそれ、長い年月の間には雲雀の遺伝子にも人間の周期が植え付けられていて、せかせかと安全なところへ引っ越して行くのだろう、、、。(2014年春詠)
水底にナスカの絵文字蜷の道
ナスカの地上絵は空から見た地上の絵、ならば地上から見た水底の蜷の道も同じような物だろうと思ってしまったのですが、、、。(2014年春詠)
浅春や切口白き庭の木々
二十年以上になる庭の蝋梅の木は、その昔近所で種を貰って育てたもの。毎年剪定はするのだが、木が古くなったせいかこの所花数も少なく、匂いも弱い。それで今年はよそのお宅の蝋梅をじっくりと観察してみた。その結果、どうも我家の蝋梅は太くなりすぎているようだと気づいた。きれいに咲いている蝋梅は、どこも比較的低い位置から枝を伸ばし、樹高と比べると幹が細いようだった。ということで、今年は根元から二本出ている太い幹の一本を低い位置で切ってみた。結論が出るのは数年後か、、、。(2014年春詠)
足止むる留守の庭先梅の花
前のお宅の裏にある梅のつぼみがだいぶ膨らんでいます。緑がかった白梅です。ここは留守だろうがそうでなかろうが、思い出しては見に行きます。掲句は例によって散歩途中の留守宅、ゆっくりも見ていられないのですが、、、。(2014年春詠)
田起しや道に土くれ撥ね上げて
いよいよ農作業が始まりました。散歩の途中の道がトラクターの撥ね上げた土で歩きにくいほどになっています。トラクターはまだ汚れておらずきれいです。面白くて見ていたら、運転されている方がトラクターの上から会釈してくださった。こちらもあわてて会釈を返したのだが、おしゃれなサングラスでどこのどなたか分かりませんでした、、、。(2014年春詠)
「咬みます」と札つけし猫うららけし
どういう訳か最近我家の近くに猫の姿がなく、おかげ様で今年は静かな春となっています。掲句は久米南町誕生寺の寺務所で見かけた猫です。よく太っていかにも人懐っこそうなので近寄ってみると、首に、、、。(2014年春詠)