山上の三角点や鳥渡る

子どもの頃、その辺りで一番高い山の上に三角点があると聞いて、いつか見に行こうと思っていたが、結局その山には登らないうちに故郷を離れてしまった。初めて三角点を見たのは、学生時代に部活仲間と登った那岐山の山頂だった。これが見たかった三角点かと思ったが、それよりも山頂からの眺めのほうがすばらしく、見たという記憶だけが残った。その後も何箇所かで三角点を見たが、どこも山上の見晴らしの良い場所だった。鳥はそれよりもはるかに高いところを渡って行くのだからすごいものだと思う、、、。(2011年秋詠)

秋夕日一人になれば肩落し

今はそんな事もないのですが、勤めていた頃はそれなりに努力はしていましたし、緊張もしていました。それが、仕事が終わり一人取り残されて夕日を見たりすると、ふっと力が抜けるのです。今は力が抜けどおし、、、。(2010年秋詠)

出払ひしいつも鳴く犬山椒の実

曲がり角のお家の柴犬、通るたびに吠えるので、いつの間にかそれに慣れっこになって、こちらも適当にあしらっていた。それがある朝、声が聞こえず姿が見えない。そうなると寂しいもので、塀の中をあちこち眺めたが犬の姿はなく、代わりに山椒の木に色づいた実を見つけた。今まで犬に気を取られて気づかなかったのだろうと思いながら角を曲がると、向うから来る飼い主に連れられたその犬に出会った。どうやら外ではおとなしいらしく、済ました顔をして通り過ぎていった、、、。(2010年秋詠)

窓あけて雀翔たせる秋日和

追い払うつもりはありませんが、窓の外の屋根の上があまりに賑やかなもんで、つい開けてみたくなるのです。開けると一斉に羽音と声がして、飛び去って行きます。後に残るのは暖かい秋の日差です。再び閉めておくと、また三々五々、声が増えて来ますが、そう何度も開けてみるようなことはいたしません、、、。(2013年秋詠)

秋時雨来るたび庭師車へと

あれ、もう北風だ、と思ったら「木枯一号」だったらしい。一転して今朝は澄んだ空に朝日が輝いている。風は無いが、ちょっと寒い。庭を見るとたくさんの落葉、とうぶんは日々の仕事に困らない、、、。掲句はまだ現役の頃、会社でお願いしていた植栽の管理、自分たちの車のほうが居心地が良いのだろう、雨が降り出すたびに車の中へ、、、。(2010年秋詠)

柿もぐや夕日冷たく手の中に

今年も西条柿は不作、三個だけが熟れています。少ないので吊るし柿にはなあ、と思いながら眺めているうちに、もう熟柿になりかけているような色です。富有柿のほうは今年は剪定のかいあって、数はほどほどに生っていますが、毛虫が多かったからでしょうか、出来はもう一つの感じです。まあ、どちらも主と同じで老木ですからねえ、、、。(2013年秋詠)

青青としてひつじ田でありにけり

昔はこうではなかっただろうと思うものの一つに収穫後の田圃がある。昔に比べると収穫時期が早まったからだろう、稲刈後の株から出た芽がこの時期までにずいぶん伸びて、ちょっとした青田のようになっている。中には既に穂が出ているところさえある。ひつじ田として歳時記に採録された頃は、おそらく弱弱しく伸びた芽が否が応でも寂寥感をさそう、晩秋の風景だったのだろうなあと思う、、、。(2013年秋詠)

連雀の木々を移れば声もまた

小鳥の名も知っているようで知らないことが多い。でもって歳時記に出ている小鳥からそれらしい連雀にしたが、ほんとうのところは分からない。昔、生垣の中に見つけた巣を雀のものと思って話していたら、野鳥の会の人がそれは鵙でしょうと教えてくれた。今ははっきり、鵙と雀は見分けられるが、、、。葉の落ちた桜並木にはいろいろな小鳥が来る。みんなでおしゃべりをするように鳴きながら木々を移って行く姿が愛らしい、、、。(2013年秋詠)