近所の小さな神社、確かに狐は住んでいるらしい。が、神社でその姿を見たことはない。本殿裏にいくつか並んだ末社の端っこにあるお稲荷さんには、小さな陶器製の赤い口の狐が鋭い眼光でこちらを見ているが、まさかこの狐が夜になると姿を変えて出歩くなんていうこともないだろう。とすれば、周囲の竹薮のどこかに巣穴でもあって、その中からこちらを伺っているのだろうか。と思いながら見渡す竹藪のあちこちに、自生した万両が赤い実を見せている、、、。(2012年冬詠)
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着ぶくれしまま耕人となりにけり
例えば埋めてある大根とか、あるいは白菜かほうれん草かも知れない。掘り起こして持って帰るだけ。ちょっとだからと炬燵から出てきたそのままのような恰好、でありながら肩に鍬を担いで畑へむかう姿は、まぎれもなくプロのものだった、、、。(2010年冬詠)
鉢ならべ冬のつましき路地暮し
狭い路地に面した入口の軒下に幾段にも鉢が並べられている。入口の半分ぐらいまでを鉢が占領している家もある。去年の枯れた花がそのままの鉢、その間から新しい芽がのぞいている鉢、葱の植わっているトロ箱などもある。気の早い家ではもう春の準備が始まっており、並べ替えられた鉢がまだ居心地が悪そうに見える、、、。(2013年冬詠)
するするとビルの壁より冬男
岡山駅の東口から二階に上がり連絡通路を通って西口方面へ向う。連絡通路は西口を過ぎ、道路を渡って岡山全日空ホテルのビルのところまで繋がっている。ビルの手前でエスカレーターを使って一階まで下りるのだが、ちょうどその時視界の中に、ビルの壁をロープを使ってスルスルと下りてくる清掃作業の男性が現れた。寒風をものともせずに、スパイダーマンのように軽快に下りてきた、、、。意味不明な句でスミマセン、、、。(2013年冬詠)
川普請しるしの紐の新しき
河川工事は水量の少ない冬に行うことが多いからだろう、「川普請」という冬の季語がある。もっとも今時「川普請」などと言うのは俳人ぐらいのもので、ほとんど死語と言っても良いだろう。年度末が近づくこともあるだろうが、確かにこの時期になると工事が増える。散歩コースにある古い用水のコンクリート化の工事も、どうして一度に行わないのかと思うぐらい短い距離を、何年もかけての工事が続いている。まずは工事の範囲を示す新しい白い紐が張られるのだが、それを見る度に「またこれだけか」と思ってしまう、、、。(2010年冬詠)
冬鳶じろり見おろし過ぎにけり
俳句を始めてから鳥を観察する機会が増えましたが、その中で気付いたのが、鳥は人間が鳥を観察する以上に人間を観察しているということです。木の上、電線、屋根、ずいぶん離れていてもこちらが見れば確かに視線に反応するのです。まして鳶は高い上空から小動物に狙いを定めるぐらいの視力の持ち主です。上空から獲物を探していたが、冬の枯野には目ぼしい獲物が見当たらない。「やれやれ、何ていう日だ」と思っているうちに犬を連れた人間が歩いてきた。「どれどれ暇つぶしにどんなヤツか見てやろう」ぐらいのつもりで下りてきたのだろう。上を向いた途端にその鳶の鋭い見下した目と目が合った、、、。(2010年冬詠)
新しき杭が一本冬菜畑
毎日見て通る畑に杭が一本だけ立っていた。まだ新しいその色は、立てた人の意欲の現れのようでもあるが、さて何で一本だけなのだろう?と不思議に思った時の句。その後杭が増えて行って、春には豌豆の垣か何かが出来たのだろうが、その事はさっぱり記憶にない、、、。(2010年冬詠)
ふみしめて土やはらかき霜のあと
久米郡美咲町にある本山寺は、私の大切な吟行地の一つになってしまいました。時々行きたくなっては岡山での句会への道中に寄り道をしてしまいます。綺麗に手入れをされた境内の大地はいつ行っても優しく、靴を通した感触が柔らかく感じられます。掲句は昨年の初句会への道中で寄り道をした時の句、霜が降りては解け何日も人が歩いていない山中の境内の大地は、ことのほか優しく、柔らかく感じられました、、、。(2013年冬詠)
目覚むるはホテル小窓を打つ時雨
四国赴任中の句、あれから二年かと思うと懐かしい、、、。その四国でお世話になった方から年末に食べきれないほどのみかんが届いた。その方が昔津山でお世話になった方が私の近所で、そこにも届けて欲しいとのことなので持っていった。声をかけたが、玄関は開いているのに留守だった。四国からの手紙が入っているので分かるだろうと、玄関に置いて帰った。しばらくして今度はその方が家へ来られた。「届けてくれてありがとう。これは他からの貰い物だけど」と、林檎と洋ナシと純米酒を出された。私はみかんを200mほど運んだだけで、申し訳ないと思いながら、それも遠慮なくいただいた、、、。みかんを四国から我家まで運んでくれた、もと部下のN君、ありがとう、、、。(2011年冬詠)
冬ぬくし猫に開けおく通ひ道
岡山駅西口から駐車場へむけて路地裏を歩いていて見かけた景、通りに向いた板壁の下に小さな扉が開いていた。人間は通れない位置だから猫の道と勝手に推察した、、、。猫用に作る一般的な出入り口は、壁や扉の下部に押すとどちらにも開く小さなドアを付けるもの。一応風も防げるし便利だが、欠点は他所の猫まで入ってしまう事、、、。今の時代だから猫の首輪にセンサーを付け、愛猫だけを感知して開く自動猫の道を作ったら売れないだろうか、、、?(2012年冬詠)