目覚むるはホテル小窓を打つ時雨

四国赴任中の句、あれから二年かと思うと懐かしい、、、。その四国でお世話になった方から年末に食べきれないほどのみかんが届いた。その方が昔津山でお世話になった方が私の近所で、そこにも届けて欲しいとのことなので持っていった。声をかけたが、玄関は開いているのに留守だった。四国からの手紙が入っているので分かるだろうと、玄関に置いて帰った。しばらくして今度はその方が家へ来られた。「届けてくれてありがとう。これは他からの貰い物だけど」と、林檎と洋ナシと純米酒を出された。私はみかんを200mほど運んだだけで、申し訳ないと思いながら、それも遠慮なくいただいた、、、。みかんを四国から我家まで運んでくれた、もと部下のN君、ありがとう、、、。(2011年冬詠)

冬ぬくし猫に開けおく通ひ道

岡山駅西口から駐車場へむけて路地裏を歩いていて見かけた景、通りに向いた板壁の下に小さな扉が開いていた。人間は通れない位置だから猫の道と勝手に推察した、、、。猫用に作る一般的な出入り口は、壁や扉の下部に押すとどちらにも開く小さなドアを付けるもの。一応風も防げるし便利だが、欠点は他所の猫まで入ってしまう事、、、。今の時代だから猫の首輪にセンサーを付け、愛猫だけを感知して開く自動猫の道を作ったら売れないだろうか、、、?(2012年冬詠)

しづり雪一つ動けば続けざま

今年の冬は寒く、雪も多いような予報で、確かに年末には終日大雪警報が出ていた日もあったが、結局このあたりの平地には一度も降雪のないまま年を越してしまった。ここに暮らしてずい分になるが、その記憶を辿っても思い出せないほど、珍しいと思う、、、。今日は小寒、いよいよ冬の最深部に入ったわけだが、今後はどうなるだろう。まさかこのまま春になる、なんてことはないだろうと思いながら、内心は期待している。寒さは苦手、、、。(2010年冬詠)

参道の炬燵の見ゆる土産店

毎年初詣に行く真庭市の木山神社、もともと山上にあった神社を麓に移したとの事だが、それでも境内の手前には五十段の石段、その手前には長い坂道の参道が続いている。参道の途中に一軒だけ昔ながらの小さな土産物屋がある。たぶん初詣の期間だけの土産物屋だろう、民家の入口が木枠で透明なガラス戸になっており、背の低い木製の陳列ケースが数個、棚に数種類に土産物が並んでいるのが見える。その陳列ケースの続きに狭い座敷があり、その座敷を占領するような大きな炬燵が用意されている。明々と灯りを点し、客と主か毎年同じように、店にはお構いなしに炬燵に背中を丸め、話しこんでいるのが見える、、、。その土産物屋の続きに納屋や牛小屋がある。牛小屋に牛はもういないが、毎年新しい小さな注連縄が飾ってある、、、。(2012年冬詠)

足見えぬほどに膨れて寒雀

近所にある道沿いのお宅、家の前の菜園の隅に植えられたピラカンサスが大きくなって、赤い実をたわわに付けている。なぜかそこに毎日雀がたくさんとまっている。実を食べているわけではない。おしゃべりは多少聞こえるが、ほとんどが同じ方向を向いて整然ととまっている。少し坂になった道とピラカンサスの間には用水が流れている。だから安全と知っているのか、私と犬が通っても平気でこちらを観察している。ふさふさの羽毛が温そうだ、、、。(2010年冬詠)

冬木立賢治自筆の農日誌

宮沢賢治の詩「永訣の朝」にある(あめゆじゅとてちてけんじゃ)がなぜか好きで、この一節だけを覚えています。死に瀕した妹とし子が賢治に「雨雪をとってきて」と頼む岩手地方の方言のようです。実際にはどのように発音するのかわかりませんが、何となく兄と妹の心のつながりが感じられる一節で好きです、、、。(2002年冬詠)

一本の矛立つごとしポポ枯るる

何度か登場したポポの木、大きな葉が黄葉し寒さに耐えていたが、霜が降りるようになるとあっという間に葉を落してしまう。まだ剪定をしていなかったこの年のポポの木は、葉が落ちると見事にすっきりとした形の立ち姿を現した。真ん中に真っ直ぐな幹、同じ高さの位置から対象に出た同じように天に向って伸びる枝、まるで矛のようだと思った。この年には大きくなり過ぎないように途中で切ったが、今度は切ったところから出た枝に対象に枝が付き、翌年には矛を傾けたような形の枝が出来た。木は柔らかく素直、朴の木を切るようだ、、、。(2010年冬詠)