峡一つ煙らせ春の時雨かな

散歩の途中で遠くに中国山地の山々が見える。それほど天気は悪くないのに、山と山の間が白くなって見える。この気温なら雨、時雨だろう。春だから春時雨か。なんて事を考えながら歩くのです、、、。(2016年春詠)

峡ひとつ隠して春の時雨かな

プールのシャワールームからシャボンが匂い鼻歌が聞こえてくる。もしやと思っていたら、案の定出てきたのはあの山小屋暮らしの仙人だった。ずいぶん見かけないので仙人暮らしを止めて大阪に帰られたか、はたまた山小屋で息絶えておられるのではないか、などと心配していたのだが。「久しぶりですね」「おゥ、こんにちは」「お元気でしたか?」「いやあ、風邪をひいてねえ」「インフルエンザですか?」「いや、ただの風邪なんだが、治らなくてねえ、結局二ヶ月ほど寝とったよ」「二ヶ月ですか!医者へは行かれたんですか?」「ああ、行った行った。医者の話では死ぬ手前だったらしいよ。ワッハッハ」「そうですか、まあ治って良かったですね。お大事に」そう聞いて、改めて見ると、確かに前より一回り細くなって、体系はますます仙人に近くなっていた、、、。(2014年春詠)

小股にて下る急坂春時雨

怪しくなってきたなあ、と思っていたら急に降ってきた。あわてて吟行を切り上げて公園の坂を下る。舗装のない坂道は何となくすべりそうで自然と小股になってしまう。全員同じような足取りで坂道を下った。その足取りばかりが記憶にあって、傘を持っていたかどうか、そこの所が記憶にない。早島公園での句、、、。(2012年春詠)

ひと所明るさ残し春時雨

冬の間は散歩の途中で雲行きが変わろうが、降ってくるのは雪だから全く気にならなかったが、春になるとそうは行かない。しまったと思っている間に、時雨の雲は雨の形を見せながら迫ってくる。それでもよくしたもので、濡れるほどでもなく、明るいままに通り過ぎることが多いのも春時雨。今のうちに、と犬を急かして家路を急ぐ、、、。(2013年春詠)

うたた寝の父のおとろへ春時雨

子どもから見れば、私は強い父だったのだろうか。父親らしい父親だったのだろうかと自問してみることがある。昔、周囲に大人が溢れていた頃、若い父はどこの大人よりも立派に見えたものだった、、、。それも昔、そんな父が余命一ヶ月となり、病院の個室に横たわっている。少し起したベッドで、無防備にうたた寝をしている。こんなことは無かったのに、、、。そんな父の横で、窓を打つ雨を見ている、、、。(2003年春詠)

春時雨那岐連山をかくしけり

梅の里は津山市の梅の名所。展望台まで登ると、岡山県北一帯の山々がよく見える。結構高い位置なのだろう、山の向うに次の山が見える。那岐山は岡山県と鳥取県に跨る標高1255メートルの山、梅の里から見えるかどうか、正確なところはわからないが、見えるとすればこちらかと思われる方向が雲に覆われ、雨に煙っていた。那岐連山と言うかどうかも怪しいものですが、、、。(2010年春詠)

うたたねの父のおとろへ春時雨

今日3月18日は父の命日。年末に入院、肺炎ということなのに一向に良くならない、おかしいなと思っているうちに病院から呼び出し、肺癌で余命一ヶ月と告げられた。掲句はその一ヶ月目ぐらいの頃の句。まだ差し迫った感じはなかったが、痛み止めの薬のせいか無防備に眠る父を見るのは辛かった。病室の明るい窓を春時雨が打っていた。(2003年春詠)