通訳の手話軽やかに冬ぬくし

四国赴任中の2ヶ月間は、週末は津山へ帰り週明けに四国へ渡る生活だった。行程の中に入れた何ヶ所かのSAの一つ、瀬戸大橋を渡り高松自動車道をしばらく走ったところにある津田の松原SAでの景。観光ではなさそうな五六人のグループが、海に向った窓辺で談笑していた。中の一人が見える場所の説明をしている。他の人が聴きながら相槌を打ったり笑ったり、談笑をしている。その中の一人が自分も話に加わりながら一方で手話通訳をしていた。その手さばきの軽やかなこと、滞ることがなかった。どこかの職場仲間かも知れないなあと思った、、、。(2011年冬詠)

踏みしめて雪道我を突放す

北国では雪を踏み固めて通路を確保する。この作業を雪踏と言うそうだ。雪が少ないこの辺りには必要ない作業だが、降った雪が溶けずに通行人の足で踏み固められることはよくある。これは油断禁物、危ない。若いうちは転んでも笑って誤魔化せたがこれからはそうは行かない、、、。と、ここまで書いて十日前の句「ふみしめて土やはらかき霜のあと」(2013年、退職一年後の句)を思い出した。今日の句はまだ現役の気概があった頃の通勤途中の句、、、。(2010年冬詠)

霜の夜を走りてかろし猫の鈴

しんしんと言う音が聞こえそうな霜夜、突然部屋の外を軽やかに過ぎる鈴の音がした。例年節分を過ぎると待っていたように猫の恋が始まり、牽制しあう雄猫の声に夜の静寂が破られる。そろそろだろう、雄猫どもがそれに備えて雌猫にめぼしを付けて回るのは、、、。(2012年冬詠)

冬菜畑石で押さへる肥袋

農業をされている方の会話で「マルチ」という言葉がよく出てくるので、何のことかと思っていたら、よく畑に敷いてあるあの黒いビニールシートの事らしい。昔で言えばさしずめ敷藁だろうか。ほどよい間隔で穴が開いており、そこからイチゴや玉ねぎの苗がのぞいている。なるほど暖かいだろうし、草も生えない、敷藁よりよっぽど効果的だろう。問題は廃棄かな、敷藁なら土に帰るだろうが、、、。(2012年冬詠)

万両や狐住むてふ宮の杜

近所の小さな神社、確かに狐は住んでいるらしい。が、神社でその姿を見たことはない。本殿裏にいくつか並んだ末社の端っこにあるお稲荷さんには、小さな陶器製の赤い口の狐が鋭い眼光でこちらを見ているが、まさかこの狐が夜になると姿を変えて出歩くなんていうこともないだろう。とすれば、周囲の竹薮のどこかに巣穴でもあって、その中からこちらを伺っているのだろうか。と思いながら見渡す竹藪のあちこちに、自生した万両が赤い実を見せている、、、。(2012年冬詠)

着ぶくれしまま耕人となりにけり

例えば埋めてある大根とか、あるいは白菜かほうれん草かも知れない。掘り起こして持って帰るだけ。ちょっとだからと炬燵から出てきたそのままのような恰好、でありながら肩に鍬を担いで畑へむかう姿は、まぎれもなくプロのものだった、、、。(2010年冬詠)

鉢ならべ冬のつましき路地暮し

狭い路地に面した入口の軒下に幾段にも鉢が並べられている。入口の半分ぐらいまでを鉢が占領している家もある。去年の枯れた花がそのままの鉢、その間から新しい芽がのぞいている鉢、葱の植わっているトロ箱などもある。気の早い家ではもう春の準備が始まっており、並べ替えられた鉢がまだ居心地が悪そうに見える、、、。(2013年冬詠)

するするとビルの壁より冬男

岡山駅の東口から二階に上がり連絡通路を通って西口方面へ向う。連絡通路は西口を過ぎ、道路を渡って岡山全日空ホテルのビルのところまで繋がっている。ビルの手前でエスカレーターを使って一階まで下りるのだが、ちょうどその時視界の中に、ビルの壁をロープを使ってスルスルと下りてくる清掃作業の男性が現れた。寒風をものともせずに、スパイダーマンのように軽快に下りてきた、、、。意味不明な句でスミマセン、、、。(2013年冬詠)