かつての日本中が景気の良かった頃には、年末が近づくと取引先からカレンダー、手帳の類が山のように集まって来ました。だからカレンダーも手帳も選り取り見取りでした。手帳も良さそうな物を何冊も取っておきながら、次の年末まで机の中で眠っているような事が何度もありました。景気が悪くなると量も減りますが、質も落ちてきます。それでも会社にいるうちは何とかなっていましたが、会社を辞めてからは手に入れるのにも苦労するようになってしまいました。早く景気が良くなって巷にカレンダーが溢れるようになって欲しいものです、、、。(1999年新年詠)
糸で張る鯛の尾頭お正月
初祓は拝殿の最前列、できれば中央に陣取ります(そのほうがご利益がありそうな気がするのですが、実際はそんなことはありません)。その前に細長くあるのが幣殿です。拝殿より一段高くなっています。左側に大きな太鼓、右にお供えの酒樽などが並んでいます。ここの中央で神主が太鼓を響かせ、朗々と祝詞をあげます。さらにその先に階段があり、御神体が安置されている本殿があります。本殿の前にはお供えが並んでいますが、何と言っても目に付いたのが大きな鯛です。よく見ると大きすぎて形が整わなかったのか、頭と尾が糸で張ってある。これは新しい発見!と句にしたのがこの年のお正月でした、、、。毎年行きますが、糸で張られるような鯛があったのはこの年だけでした、、、。(2003年新年詠)
一列に並ぶ湯宿の雑煮かな
謹んで新年のお慶びを申し上げます。今年こそ良い年でありますように!まだ子どもが小さかった頃、国民宿舎だったか、そのような大衆的な温泉宿だったか、で正月を迎えたことがあります。部屋も古くて狭いし、たいして景色が良かった記憶もありませんが、それでも満足できた若さのあった頃でした。そんな宿ですから、朝食は大広間へ食べに行きます。何が出るかと楽しみにしていたら、流石にお正月、ちゃんとお雑煮が出てきましたよ。掲句はその時を思い出して作った句です、、、。(2003年新年詠)
神苑に高木多し冬の鵯
今年も押詰って来ました。作楽神社に行くと、迎春準備にせわしない人間を尻目に、木の上では鵯が賑やかにおしゃべりを楽しんでいます。早いものですね、皆様良い年をお迎えください、、、。(2011年冬詠)
足見えぬほどに膨れて寒雀
近所にある道沿いのお宅、家の前の菜園の隅に植えられたピラカンサスが大きくなって、赤い実をたわわに付けている。なぜかそこに毎日雀がたくさんとまっている。実を食べているわけではない。おしゃべりは多少聞こえるが、ほとんどが同じ方向を向いて整然ととまっている。少し坂になった道とピラカンサスの間には用水が流れている。だから安全と知っているのか、私と犬が通っても平気でこちらを観察している。ふさふさの羽毛が温そうだ、、、。(2010年冬詠)
冬の子の真一文字に口紅し
句稿に残っていた句だが、さてどういうシチュエーションで詠んだ句だったろうか?今から十一年前だから、うちの子では無さそう、、、。(2002年冬詠)
冬木立賢治自筆の農日誌
宮沢賢治の詩「永訣の朝」にある(あめゆじゅとてちてけんじゃ)がなぜか好きで、この一節だけを覚えています。死に瀕した妹とし子が賢治に「雨雪をとってきて」と頼む岩手地方の方言のようです。実際にはどのように発音するのかわかりませんが、何となく兄と妹の心のつながりが感じられる一節で好きです、、、。(2002年冬詠)
一本の矛立つごとしポポ枯るる
何度か登場したポポの木、大きな葉が黄葉し寒さに耐えていたが、霜が降りるようになるとあっという間に葉を落してしまう。まだ剪定をしていなかったこの年のポポの木は、葉が落ちると見事にすっきりとした形の立ち姿を現した。真ん中に真っ直ぐな幹、同じ高さの位置から対象に出た同じように天に向って伸びる枝、まるで矛のようだと思った。この年には大きくなり過ぎないように途中で切ったが、今度は切ったところから出た枝に対象に枝が付き、翌年には矛を傾けたような形の枝が出来た。木は柔らかく素直、朴の木を切るようだ、、、。(2010年冬詠)
熱燗やこのごろ慣れし厨事
熱燗の兼題で作ったこんな句が残っていました。もっとも、今更慣れたなんて言わなくても、昔からの事です、、、。熱燗もいいなあ、、、。(2002年冬詠)
コート脱ぐいざ出陣の納句座
明日は今年の納め句会、さてどうなることやら、、、。(2012年冬詠)