我家に桜桃の木がある。子どもが小さい時に植えた木だが、たくさん実をつけるようになる頃には子どもは家を離れた。網もかけずに自然に任せているので、ほとんど鳥に食べられてしまう。鳥は利口で、羽音を忍ばせて毎日熟れ具合を確かめに来る。知らぬふりをしてギリギリまで待って、ちょっとだけ鳥より先にいただこうと思うのだが、敵もさる者。毎年の馬鹿な挑戦。(2009年夏詠)
ががんぼを抓んで放つ夜の闇
夜の静けさの中で机に向かっていると羽音がする。見ると大蚊が蛍光灯にぶつかりぶつかりしている。逃がそうとすれば必ず足の一本や二本は取れ翅は痛んでしまうので、果たして助けることになるのかどうか、と思いつつ抓んで窓を開けると、そこには夜の闇があるのだった。(2012年夏詠)
ぼうたんのゆれて百とも二百とも
路地多し同じ揚羽にまた会うて
岡山市庭瀬城址吟行での句。古い家と新しい家が混在する路地の多い町だった。家が途切れると畑があったりして、路地好きにはたまらない。ぐるぐる折れ曲がって行くと、あれっ、さっき見た揚羽だ、どこかに近道が、、、。(2011年夏詠)
ガーベラや鍵かけて出る独者
ちょっと見つけた朝の風景、たいした意味はありませんです。(2000年夏詠)
外は雨中は五月の絵画展
絵画展、それも素人の無料の人の少ない絵画展。入口には受付があり、芳名禄が置いてあるが誰もいない。こっそりと受付をすり抜けると、絵の前に佇んでいる人もまばらである。出る頃には受付に人が戻っていて、「ありがとうございました」と声をかけられる。そんな絵画展が好きで、図書館の帰りに寄ったりした。(1998年夏詠)
村中を見渡す墓地や朴の花
当時は毎週のように大阪の本社へ出張していた。中国自動車道を走ると四季折々の花が見えるが、朴の花もその一つである。多くはないが、何年も通っているうちに木の場所を覚え、花咲く季節になるとすらりと伸びた木の緑の中に、ぽつんと見える白い花を見つけるのが楽しみだった。(2001年夏詠)
青嵐トトロ出さうに木々揺れて
やたらと敷地の広い会社だった。少人数になってからは植栽の手入れもままならず、夏になれば大木に青葉が茂った。強風が吹くとその青葉が煽られて大きく揺れる。遠くから見るとまるで「隣のトトロ」のワンシーンのように見えるのだった。どんぐりの木もあった。(2009年夏詠)
子の数の傘並べ干し風薫る
昨日の雨が嘘のように上がった五月の晴れた日の朝、前にも登場していただいた通勤途上のお宅、通りかかると道路に面した庭に、色とりどりの傘が所狭しと広げてあった。子沢山とは知っていたが、壮観だった。あれから十年、、、。(2002年夏詠)