ひと通り片付けを済ませ、生家を出ようとした時はもう夜中だった。「先に出てよ」と兄弟たちを外に出し、順番に灯を落していく。「いい?消すよ」声をかけて玄関の灯を落すと、途端に真っ暗闇になった。手探りで玄関に鍵をかけ、「お疲れ様」と兄弟たちを送る。順番に車が発車してしまうと、一人虫時雨の闇の中に取り残されてしまった。周囲に家が無いわけではないが、人の居ない家はほんとうに暗い。車まで、また手探りで虫時雨の中を歩いた。(2011年秋詠)
秋風や石灰岩は骨の色
井倉洞吟行<その8>句会の後はしばらく風景を堪能、その後駅まで皆さんをお送りして解散となりました。私はついでに「絹掛の滝」に寄り、お不動様にお参りして帰りました。帰りは方谷から北房へ山道を抜けましたが、山の中の田圃は稲刈りの真っ最中でした。これで井倉洞吟行は終わりです。お付き合いありがとうございました。-終わり-(2012年秋詠)
落鮎の口のへの字に焼かれけり
生るるごと洞より出でし秋の昼
井倉洞吟行<その6>さて、入洞組三人は一つでも多く句材を拾おうと、足も遅く(運動不足もありますが)、広場があれば忘れないうちにと手帳を広げたりするものですから、結局吟行の一時間を洞の中で過ごしてしまいました。先生が足を滑らせるという危ない場面もありましたが、事無きを得、無事に地球の胎内から生還したのはちょうどお昼でした。橋の上から眺めた高梁川の河岸に彼岸花が数本咲き始めていました。-続く-(2012年秋詠)
億年のしずくとなりて滴れり
井倉洞吟行<その5>夏の季語になりましたが、ここにこれ以上の季語はないでしょう。鍾乳洞を見るたびに悠久の時を想います。一滴一滴の積み重ねが、やがて億年の時を経てこの鍾乳洞を造り上げ、さらにその滴りは未来へと繋がっていくのです。私が眺めているのは、その途方も無い時の流れのほんの一瞬なのだと、そんなことを想うのです。-続く-(2012年秋詠)
洞穴に入りて恋しき秋暑かな
井倉洞吟行<その4>井倉駅で先生、美女三人と合流、再び井倉洞まで歩きました。井倉洞では先に昼食と句会の席を予約した後、入洞組と残留組に分かれての吟行となりました。私は入洞組で、久しぶりに地底の冷気を体感しました。予想はしていましたが、Tシャツ一枚の身体には十分な寒さで、外の暑さが恋しく感じられました。-続く-(2012年秋詠)
秋雲や確かに地球まはりけり
天高し四方が山の底に立ち
青栗の毬より他に遇はぬ道
井倉洞吟行・・・9月9日「合歓の会」の吟行で井倉洞へ行きました。そのときの句をまとめて・・・ <その1>津山から井倉洞へは、中国道を北房まで走り、北房から草間台のカルスト台地を抜けました。鍾乳洞の多いところです。途中で「羅生門」という大きな看板を見つけ、予備知識なしで寄道をしてみました。看板から畑沿いの道を少し行くと、今度は小さな看板で横道へ矢印、いきなり細い林道に入ってしまいました。対向車があったらどうしようと思いながら走りましたが、心配は無用、駐車場へ着くまでに出会ったのは、道の中央に落ちていた青栗の毬一つだけでした。もちろん、駐車場にも人の気配は全くありませんでした。-続く-(2012年秋詠)
秋茄子回覧板と届きけり
だいたい月一回の割合で回覧板が回ってくる。重要なお知らせは個別に配布されるので、たいていが他愛もない内容で、福祉団体の販売する雑貨品のカタログであったり、駐在さんの手作りの新聞であったりする。途中で止まることも多く、開催日を見れば既に過去のイベントのチラシが回ってくることも、、、。時にはレジ袋に入れた茄子が門扉にくくりつけてあることも、、、。(2001年秋詠)