矢車の音降る下に犬眠る

これは我家から国道を渡ったところにあるお宅。道路脇に農機具小屋があり、その隅に小さな犬小屋が置かれていた。黒白のぶちの犬が飼われており、通勤の途上ではよく吼えられたが、たまたま昼間に通ると、暑さのせいか犬は眠りこけており、家の前に立てられた柱の上からは矢車の小気味よい音が降ってきた。すでに端午の節句は過ぎ、鯉幟の姿はなかった。(2001年夏詠)

庭先に運ぶ珈琲聖五月

オープンガーデンが今ほど盛んではなかった頃、妻のお供で県内各地のお宅を訪問したことがある。五月のよく晴れた朝だった。少しだけ拝見して帰るつもりが、手入れの行き届いた庭先の小さなテーブルで、本格的なコーヒーをご馳走になった。花に囲まれた至福の時間だった。このお宅は今でも毎年オープンガーデンをされている。(2002年夏詠)

グラタンの熱きを吹いて春終へる

今日で春も終わりか、と。俳人になるまでは、春に終わりの日があるなんて思いもしなかった。春も夏もいつの間にか来て、いつの間にか去っていった。今は、明日からの夏に備えて、新しい俳句手帖に名前を書き込み、季寄せをパラパラとめくって見る。そういえば最近このような食べ物が食卓に登ることが無くなったなあ。(1998年春詠)

行く春の潮目に白き波頭

また続きです。句会では初めてMさんにお会いしました。Mさんの句はいつも拝見しながら、どんな方だろうと思っていました。正直なところ、少し気難しい方かなと思っていたのですが、そうではありませんでした。やさしそうな年配の方でした。Mさんのコーヒー、Kさんの柏餅、そしてH女史の御薄と、いたれりつくせりの句会ではありました。満腹、いや満足して帰途につくことができました。作者はどんな方だろうと、想像しながら鑑賞するのも俳句の楽しみの一つですね。(2012年春詠)

海風を孕み岬の鯉のぼり

鷲羽山の展望台からの三百六十度の眺めはすばらしかった。鶯が鳴き、眼下には空と同じ青さで海が広がっていた。どちらかと言えば高いところは苦手だが、この景色には満足。五匹の鯉のぼりが腹一杯に海風を孕んで泳いでいた。(2012年春詠)

のどけしや名物婆が干物売る

下津井漁港思いのほか早く着いたので、待ち合わせまでの小一時間に下津井の町を歩いた。駐車場に車を置いて歩き始めるとすぐのところにあるお店。テレビ放送ですっかり有名になったようだが、名物お婆さんは相変わらず魚の干物を売っていた。昼近い平日の漁港は長閑そのものだった。(2012年春詠)

触れし木に命の温み木の芽風

裏の柿の木が芽吹き始めました。この木も家族と一緒に借家の庭から引っ越してきたものです。植えた位置が悪く、大きくなるに連れいつも同じ辺りに触れるようになりました。いつの間にかその部分の表面が滑らかになり、何とも触り心地が良いのです。そんな柿の木に触りながら枝を見上げていると、ふと命というものを感じるのです。(2012年春詠)