群生した睡蓮の下はどうなっているのだろうか。地上の林のように茎が林立し、葉の間から日差しが漏れて来るのだろうか。我々が林の中を歩く時のように、魚たちは頭上の光を感じながら、茎の間をさまよっているのだろうか。(2010年夏詠)
万緑やカヌーに紅き救命衣
国道53号線を岡山へ向かうと、福渡あたりの旭川で良くカヌーを見かける。私は門外漢だが、カヌー仲間では結構有名なスポットらしく、毎年来ると言う取引先の若者もいた。今日中に仕事を済ませて、明日は有休を使ってカヌーを漕ぎます、なんていうスケジュールを羨ましく思ったものだ。国道を挟んだ山の緑と川に浮ぶカヌーの、ことに救命衣の赤が鮮やか。門外漢の私にも気持ちよさそうに見える。(2002年夏詠)
くろ猫の眼の浅緑麦の秋
いつもの散歩コースに見つけた麦畑。おまけに黒猫までもがこちらを見ている。猫は犬と違い黙ってこちらを観察するだけで、決して挨拶はしてこない。こちらもあえてちょっかいは出さないが、なんとも見事な眼をした黒猫だった。(2012年夏詠)
新じやがの茹で上げてまだ野のにほひ
「新じやが」なんてのも季語なんだから俳句って楽しいですね。狭い庭の隅にコンポストを置いて野菜屑を放り込むと、時には腐りかけたジャガイモなんてのも在って、それから芽が出て、毎年のように育ちます。ただ、狭いところなのでどうしても連作障害でしょうか、だんだんと小さな薯になってしまいます。食べられそうなのを集めて茹でると何とも良い匂いですが、食べるとそうでもないのです。(1998年夏詠)
時々は甕の目高のさわぎけり
庭を掃いていると、時々水のはねた音がする。あれっ、どの甕かな?と見渡しても、どの甕の目高も静かに泳いでいるのです。またしばらく掃いていると音がする。今度こそ、と思って見るが、やっぱり静かなままなのです。こんなふうに今の私に時間は流れていきます。(2012年夏詠)
朝楽し甕の目高の寄り来れば
出勤前に甕を覗くと目高が寄ってくる。これが結構可愛い。眺めているとニ分や三分はすぐに過ぎてしまう。黒や赤や白や、最近は「ダルマメダカ」なんて言うのもいるらしい。今年は日に何度も覗くので目高も困っているかもしれないな。「餌もくれないで、いいかげんに働けよ!」と、言いたそうに見えなくもない。(2010年夏詠)
庭先に空の苗箱紫蘭咲く
通勤途上のお宅、家の横を水量豊かな門川が流れ、柿の木の下に紫蘭が咲いている。庭先には洗ったばかりの黒い苗箱が積み上げられ、滴る水滴が朝日に光っている。家を離れてからはそれこそ年に数回帰るだけで、ましてや田植に帰った記憶はほとんどない。こういう風景を眼にする度に、また今年も時機を逸したと親不孝を後悔するのだったが、今となってはそれさえも叶わない。(2001年夏詠)
くちなはの先づは紋様確かむる
今年は蛇が多いと思ったが、毎日が休日で昼間に散歩することが多いからかも知れない。何度出会っても蛇には驚かされるが、そのぶん句にもなりやすい。昼間出会うのはシマヘビや青大将で驚きはするが、危険な蛇ではない。この辺りに出没する危険な蛇と言えば蝮であるが、生きた蝮に出会ったことはまだない。それでも一応はその紋様で安全確認をするようにしている。蝮には表面に銭型の独特の模様があり、腹にも不気味な斑点模様がある。体型は他の蛇に比べると短く太い。(2008年夏詠)
蚊柱の出来始めなる五六匹
いつもの散歩コース。土手の並木が途切れたあたりによく蚊柱が出来る。まだこの時季に出来る蚊柱は可愛いもので、五、六匹が頼りなげに宙に浮いていることが多い。風が吹くとふっと消えるが、またふわふわと集まってくる。(2010年夏詠)
里山の続きは深山桐の花
津山から高梁へは国道313号線を走る。昔に比べるとずいぶん走りやすくなったなあと、そんなことを考えながら走っていると、昔すれ違うのにも苦労した旧道と橋が見えた。止まってみると橋はすでに崩れかけており、通行禁止になっているようだった。その橋の向こう側には大きな桐の木があり、花をつけていた。昔はそのあたりに家もあったような気がするのだが、記憶は定かではない。(2008年夏詠)