音立つる社旗安全旗蒼嵐

隣の工場は有名な電子部品のメーカーで、玄関前のポールには毎日社旗と安全旗が掲揚されていた。風の強い日には旗が煽られてロープを揺らし、そのロープが金属製のポールを打つ音がカンカンと力強く聞こえて来た。隣の芝生は本当に緑だった、、、。(2009年夏詠)

喪帰りの庭の暗がり糸とんぼ

親戚であったり、近所であったり、会社関係であったりと、とにかく不幸の続いた時期があった。あんまり多いので、私が「休みます」と言えば「葬式ですか?」と聞かれるようになった、、、。そんなある日の葬式から帰った時のことです、、、。(2009年夏詠)

菊挿芽名札に小さき女文字

前のお宅の女主人が菊を育て始めたのがこの頃だったのだろう。あれから五年、今年もまた軒下の苗箱に整然と挿芽が並び、白い名札が立ててある。小さな女文字が新しい、、、。あれから毎年楽しみにしているが、上手く育つ年もあればそうで無い年もある。気がつけばいつの間にか鉢ごと無くなっていることもあり、大輪の菊を咲かすのは、なかなか難しいようだ、、、。(2008年夏詠)

夏川の樋門抜け来て渦となる

駐車場に車を置いて川沿いに歩いていくと西川緑道公園に出る。即ち沿って歩いてきた川が西川とぶつかるところが樋門となっている。樋門から吐出された水は、一度大きく渦を巻き、ゆっくりと下流へと流れて行く。樋門の手前には小さいが近代的な大師堂、アルミサッシの入口の向こうにお大師様が見える、、、。(2013年夏詠)

仙人掌の花に残りし月の色

いつ誰が植えたものか分からないが、会社の植え込みの中にウチワサボテンがひっそりと生えていた。生えているのは知っていたが、目立つわけでもなく、増えているようにも思えないぐらいのものだった。夏のある朝出勤すると、そのサボテンに花が咲いていた。今までも咲くことはあったのだろうが、気付いたのは初めてだった。それぐらい控えめな黄色をしていた。なぜだかその前日の、退社する時に鍵をかけながら同じ場所で眺めた、月の色を思った、、、。(2011年夏詠)

鬱といふ読めて書けぬ字栗の花

とあるところに漢字の話題があったのでこの句を書きました。昔から読めても書けない漢字が多く、パソコンの恩恵にあずかっている一人です。俳句もパソコンからスタートしましたので、いきなりパソコンで作ることも多いのですが、掲句のような難しい漢字を使った句もなんなく出来てしまいます。場合によってはこのままパソコンから投句可能な場合もありますので、なんとも便利な世の中です、、、。句会になるとこうは行きません、、、。(2012年夏詠)

昼灯す観光バスや梅雨曇

会社の用水路を隔てた横を中国自動車道が通っていた。自動車道は少し高い位置にあるが、防音壁も無く、植栽越しに走って行く車が見えた。特に背が高いトラックや観光バスはよく見えた。見ようとして見るわけではないが、休憩時間に外に出て自然を眺めると、必然的にそれらの車が眼に入るのだった。どんよりとした梅雨曇の空の下を、何台もの観光バスが室内灯を灯して通って行った。普段は目立たないバスが、室内灯のせいで華やいで見えた。バス旅行もいいなあと思いつつも、せっかくの旅行なのにこの天気ではなあと思うのだった。天気予報は雨、、、。(2003年夏詠)

シニアカ-ゲ-トボ-ルへ青田道

比較的初期に詠んだ句。早朝の青田道を一台のシニアカーが、スポーツ用品のカタログにあるような洒落たハットに、一目でそれと分かるスティックを積み、ゆっくり、ゆっくりと進んで行った、、、。この句を詠んだ当時は、今日の自分、即ち60歳を過ぎた自分の姿なんて、想像出来なかったが、なってみればどうという事も無く、こうしてパソコンに向かっている日々がある、、、。ところがである、同じ会社の同年代の元同僚に聞けば、すでに老人クラブからお誘いがあったらしい、、、。(2000年夏詠)