寒狐人家うかがひつつ行きぬ

吉井川の土手と旧出雲街道沿いの集落の間には田圃が広がっている。その田圃の中を集落と並行して新しい道が一本走っている。散歩コースの土手からは集落とこの道を、遠くに見下ろすような位置関係になる。まだ夜明の暗さが残るこの田圃の中の道を、一目でそれと分かる狐が一匹歩いていた。狐は人の動き始めた人家の方が気になるのだろう、時々立ち止まってはそちらを窺い、こそこそと歩き始めるのだった。反対側の土手に人が居るなんて思わなかったのだろう、土手を散歩する私から見るとその姿は、まるで無防備に見えた。(2010年冬詠)

禅寺のつぎはぎだらけ白障子

総社市の井山宝福寺には、母が近くの施設にいたので訪れる機会が多く、ちょっとだけ母を訪ねては、一人吟行に時間を使った。宝福寺の方丈は庭越しに眺められるだけだが、禅寺らしい佇まいの立派な方丈で、雪舟が鼠の絵を描いたのもこの方丈の中だそうだ。その方丈の庭に面した障子は、やたらとつぎはぎがしてあり、それがまた冬日の中で美しい光を見せるのである。たぶん単なるデザインなんだろうとは思うが、禅寺なのであるいは何か別の意味があるのかも知れないなあ。(2010年冬詠)

一日で成りし更地や空つ風

かつては良く流行っていたドライブインだったが、閉じられてからずい分長い間ほったらかしにされていた。通勤で毎日見ながら、すっかり意識から外れていたが、ある朝大きなトラックや重機が止まっているのを見かけた。その日の帰りは残業で遅く、その場所がどういう状態になっているのか意識することはなかったが、次の朝通りかかると建物はすっかり撤去され、がらんとした空地が広がっていた。(2010年冬詠)

北風や廃工場の玻璃戸鳴る

大きな道であるとか、橋、川などで、どうしてもテリトリーが決まってしまう。同じような距離なのに、国道を渡って散歩に行くのは勇気が要る。意を決して国道を渡り脇道へ入って行くと、「へえ~っ、こんな所に」と思うような所に新しいマンションが幾つも建っていたり、林の中に神社や寺があったりする。結構楽しいなあと思いながら歩いていくと、閉じられた工場があった。何の工場だったのだろう、ずいぶん背が高いな、あまり傷んではいないから最近閉めたのかな。なんて事を考えながら周囲を巡っていると、突然近所の犬に吠えられた。(2002年冬詠)

ぽつかりとトンネルの口山眠る

-しばらく阿南を離れます-ポカンと口を開けて眠るか、ギリギリと歯軋りをしながら眠るか、どちらでしょうか。私の場合は口を開けて眠っているような気がします。どちらにしてもあまり見られたくない顔ではあります、、、。掲句は中国道で大阪へ通っていた頃の句。岡山と兵庫の県境あたりにいくつかのトンネルがある。山にしてみれば好きで開けられたトンネルではなし、喉の奥のほうがむずむずして、たまったものではないだろうが、、、。(2000年冬詠)

広々と冬菜畑ある風の中

肝心の赴任先ですが、こんなところにありました。ただっ広いところで、太平洋からの風が瀬戸内海方向へ抜けるのか、とにかく風が強く赴任している間中吹いていました。風の強さは、津山のちょっとした台風ぐらいかなあ、、、。どれくらいただっ広いかと言うと、事務所は会社の二階にありましたが、窓から見える風景と、Googleの地図を比較して見ると、阿南市、小松島市、徳島市、鳴門市と見えて、その向こうに見えるのが瀬戸内海なんだろうか、、、。このただっ広い窓からの風景が気に入って、ずいぶん眺めました。もちろん、仕事もしましたよ!<阿南5>(2011年冬詠)

寒禽の呼び合ふ声も深山かな

ホテルから程近いところに阿南公園がありました。山全体が公園のようでしたが、整備されているのは途中までで、その先には標識はあるものの、鬱蒼とした森と竹薮が広がっていました。聞こえるのは鳥の声だけの、余所者を拒むような、まさに深山です。朝の短い時間で歩けるのはこのあたりまでで、途中の山の中腹にある小さな展望台で海を眺めて引き返すのを散歩コースとしました。ほとんど人と出会うことはありませんが、それでも何度も歩くと、何人かの同じ人に出会い挨拶を交わすようになりました。<阿南4>(2011年冬詠)

旅慣れし人かこつんと寒卵

三つ目に泊ったホテル、結局ここを定宿と決めました。清潔、大浴場有り、朝食付き、全室インターネット接続可、しかも5800円。何と言っても開放感のある大浴場は、ビジネスホテル暮らしにはありがたい物です。朝食は簡単なバイキング形式で、毎日似たようなものですが、野菜は豊富でした。ホテルですからいろいろな方が泊られます。設備関係の出張工事のグループ、遍路姿の夫婦者、営業マン、、、。掲句の人は、年季の入った一昔前の商人風、私よりはだいぶ年上でしょう、賑やかな作業服姿の連中を尻目に、どこ吹く風といった風情で生卵を割る、その慣れた手つき、、、。<阿南3>(2011年冬詠)

冬菊に残る夜明の月明り

二つ目に泊ったホテル、これは失敗だったなあ。確かに禁煙で予約したつもりだったのに、ひどい煙草臭で、案の定早く起き過ぎてしまった。ホテルを出るとまだ暗く、時雨でもあったのか路面が濡れていた。ホテルは山裾にあり、そこから中腹に向かって適度な坂道が続いている。坂道を登って行くと建物が途切れ、カーブする道沿いにたくさんの菊が植えられた一角があった。反対側は畑で、空にはまだ月が残っている。菊は月の光を受け、ほの暗い中に花だけが浮いているような、幻想的な景を見せていた。<阿南2>(2011年冬詠)

冬麗や街角ごとに地蔵尊

早いものです。徳島県阿南市での暮らしが、もう一年前のことなのです。掲句は俳句手帖を見ると赴任の翌日に詠んでいます。予想される運動不足の解消と、本来の好奇心を満たすためには、朝の散歩は欠かせません。昨夜買っておいたサンドウィッチとコーヒー(うれしいことに、最初に泊ったホテルにはドリップ式のコーヒーパックが付いていました)で朝食を済ませ、フロントで貰った近辺の地図を頼りに早速出かけました。まずはホテル周辺からと出かけた街角の景、朝にもかかわらず暖か、、、。<阿南1>(2011年冬詠)