いつもの通い道の、家一軒分を近道する路地です。路地を抜けると国道、すぐ目の前に信号があります。赤信号も燕には関係なく、路地に入った速度のそのままで、一気に国道を渡って行きます、、、。燕は好きな鳥の一つです。句にもなり安いので、やたらと同じような句を詠んでしまいます。そんな句の一つです、、、。(2003年夏詠)
投稿者: 牛二
新緑の底の天竜下りかな
当時所属していた結社のネットでの題詠で作った句、憧れの天竜下りです、、、。(2003年夏詠)
樟若葉碑古りし陣屋跡
地元ではないこともあるし、住んでいながら知らないことが多い。だから地域の共同作業の時などに古老が話してくれる古い話には興味深く耳を傾ける。たいていが物知りが一人居て話すことを、他の数人が補足し、私のような他所から来たものが頷きながら聴く、というパターンで進んで行く。神社の狭い境内から見上げる楠木の若葉がまぶしい、、、。(2003年夏詠)
神主の白緒の雪駄夏きざす
神主を呼んで、そこらじゅうにある神棚の御幣を新しくしたり、祝詞をあげてもらうような行事があった。子どもの頃の記憶にあるだけで、母に言われて思い出したが、父が亡くなれば当然私に回ってくる訳で、私が神主の相手をすることになる。やって来た神主は私と同世代だろうか、挨拶もそこそこに羽織を脱ぎ、袴姿で準備に入った。御幣用に用意しておいた竹を切ったり、半紙を切ったりと汗をかきながらの作業が続く。その間に世間話が入る。「お父さんにはずい分お世話になりました」と神主、「そうですか」と私、から始まってひとしきり父との思い出話や地域の話が続いた。作業が一区切りつき話にもほんの少しの間が出来た。すると突然、「私の事、忘れられとるでしょうね。おわかりになりませんか?」と神主、「えっ?」「ほら、小学校で一年下で、中学校の時同じ部活でお世話になった○○です」私は思わず絶句し、目の前の現実としての神主と、まき戻した記憶とを整合させるのにはしばらく時間が必要だった。そうだ、彼は神主の家の息子だった。その彼が神主になっていても何の不思議もないのだった、、、。(2003年夏詠)
うす着して立夏の朝を楽しめり
「やっぱりまだ寒いね」なんて言いながら、その寒さを楽しんでいる。それも立夏ゆえだが、「今日から夏です」と喜んでいるのは、我々俳人だけでしょうか、、、。とは言うものの、今年はいつまでたっても寒い日がありますね。年齢のせいではないと思うのですが、、、。(2011年夏詠)
五線譜に残るメモ書暮の春
いろんな事をやって、行き着いたところにあったのが俳句だった。ご多分に洩れずギターもやった。始めたのは中学三年生のときで、ギターも三本も持っていたこともある。田舎に帰ればまだ一本は残っていると思うが、手元にはもうない。もう手は動かないが、楽譜は読める、と、お、も、う、、、。(2009年春詠)
残されし骸のいくつ鳥帰る
ある朝散歩に行くと、川にいる鳥の数が急に少なくなっている。離れ離れに何組かの番は泳いでいるが、昨日まで居た賑やかな団体の姿はなく、静かである。当たり前のことだが、この日は毎年突然にやって来る。「雁風呂」という季語がある。雁は渡りの途中に波間で休むために木片を咥えて飛んで来て、その木片を海岸に置いておく。北へ帰るときにはまたその木片を咥えて飛んで行くので、海岸には北へ帰れなかった雁の数の木片が残っている。その残った木片を集めて風呂をたて、雁の供養とする。というのが「雁風呂」だが、実際のところはどうなのだろう。どれくらいの数の鳥が命を落すのだろう、と、毎年のことながら、少し感傷的になる日でもある、、、。(2012年春詠)
春風を通す国宝あけ放ち
考えてみれば、いつも開け放ってある国宝なんて珍しいのではないだろうか。閑谷学校の講堂、磨かれた床が光を返し、春風が通り抜けて行く、、、。(2011年春詠)
蕗始末古新聞を濡らしつつ
さて、今回のシリーズの終りは、草刈前に採っておいた蕗の始末です、、、。植えたわけではありませんが土手では蕗が採れます。蕗は我家の貴重な食材です。季節感があって美味しいですね。もちろん、採るのも始末するのも私の仕事です。玄関脇に腰を下ろし、新聞紙を広げて、指先を染めながら、、、。サラリーマン時代は、爪のあたりに色を残したままのこの指で、仕事に行ったものでした、、、。<俄仕事-7>(2012年春詠)
サラリーマン終へて三月の汗拭ふ
学生時代はラグビーで汗と泥と擦り傷にまみれた生活をしていたが、汗をかいて不快に思ったことは無かった。社会人になって冷房の効いた事務所で仕事をするようになると、普段汗をかくことは無くなったが、かくと不快感を覚えるようになった。さて、定年になって三ヶ月、久しぶりに鎌を持って流した汗には、少しだけ爽快感が戻っていた、、、。<俄仕事-6>(2012年春詠)