日めくりや雨水一粒万倍日

降る雪が雨に変わり、積った雪や氷が解けて水になるとの意で、雨水という。 一粒万倍とは、一粒の籾が万倍にも実る稲穂になるという意、一粒万倍日は何事を始めるにも良しとする。会社の柱にかけてある大きな日めくりを見ていて見つけた、雨水と一粒万倍日が重なった日。それだけなのだが、なんとも春らしい日ではないか。なんて事を考えて喜んでいたのも今は昔、、、。(2009年春詠)

畦焼の煙わが家の二階まで

どちらが先にあったかというと田圃のほうだから、我家は文句を言えないが、ちょっと迷惑、いや大分迷惑な煙である。家が増えて田圃が減って、だんだんと煙が減って行くのも寂しい気がする、、、。おねしょをすると叱られながらも火遊びは好きだった。今考えてみれば危ないことですね、、、。(2011年春詠)

水ぬるむ川舟川におろされて

冬の間岸に上げられていた舟が川に下ろされる。国道53号線を岡山へ走っていくと、旭川沿いでよく見られる風景。やっと春が来た感じがする。カヌーが増えて来るのはもう少し先かな。こちらは明るい色が春を誘う、、、。(2010年春詠)

春寒やかたむき置かれ石祠

石祠にも大小いろいろありますが、黒い色の小さなよくある石祠です。大きな石の上に置かれたり、大木の走り根の上だったり、多かれ少なかれ傾いていることが多いですね。いつも石祠で詠みますが、実際は焼物のような気がします。神様に対して失礼ですが、昔の炬燵が良く似た色や形をしていたと思いませんか?石祠は一年中、何かにつけて詠んでいるような気がします。春には春の石祠です、、、。(2010年春詠)

義理チョコの小ぶりのリボン春浅し

ははは、小ぶりだからどうってことはないんだが、なんとなく義理チョコっぽく思えたものだ。昨年は四国で「一足早いですが」と帰る日にいただいた。あっ、お返しを忘れてる、ごめんなさい、、、。(2009年春詠)

空つぽの看護婦詰所春ともし

少し灯を落とした長い廊下の向こうに、煌々とした灯りを見せて看護婦詰所がある。父の病室はそこからさらに数部屋むこうになる。通りがかりに看護婦詰所を覗くと誰も居なかった。病院の夜の廊下に、昼間の喧騒は無い、、、。(2003年春詠)

うたた寝の父のおとろへ春時雨

子どもから見れば、私は強い父だったのだろうか。父親らしい父親だったのだろうかと自問してみることがある。昔、周囲に大人が溢れていた頃、若い父はどこの大人よりも立派に見えたものだった、、、。それも昔、そんな父が余命一ヶ月となり、病院の個室に横たわっている。少し起したベッドで、無防備にうたた寝をしている。こんなことは無かったのに、、、。そんな父の横で、窓を打つ雨を見ている、、、。(2003年春詠)

氏神の裸電球建国日

少し大きな神社になれば、日の丸が上がったり、建国記念日の行事があったりするのだろうが、宮司も居ない近くの小さな神社、参道に裸電球が吊り下げられており、時折昼間に点っていることがあります。消し忘れのようなそうでないような、林の中なので、なんとも不気味な感じもするが、建国記念日には合うような気がするから不思議、と思い詠んだ句です、、、。(2011年春詠)

丸まつて眠る男の子やヒヤシンス

子どもが学校から持って帰った出窓に似合う水耕栽培のヒヤシンス、こんなこともあったなあ、、、と思いながら詠んだ句。ある日突然に部屋に満たされる香りが、咲き始めた窓辺のヒヤシンスであると気付くまでの僅かな時間と、気付いた時の喜び、、、。(2003年春詠)

刃物屋の古里訛午祭

午祭ではありませんが、旧正月に行われる津山市の福力荒神社大祭は賑やかです。道という道に、時には道以外にも屋台が並びます。「蝮除けの砂」なんてのもあります。そんな中に見つけた備中鍛冶の店、訛でそれと判る故郷の人。声を聞くだけで懐かしい。しっかり稼げよと思うのだった、、、。(2011年冬詠)