宮沢賢治の詩「永訣の朝」にある(あめゆじゅとてちてけんじゃ)がなぜか好きで、この一節だけを覚えています。死に瀕した妹とし子が賢治に「雨雪をとってきて」と頼む岩手地方の方言のようです。実際にはどのように発音するのかわかりませんが、何となく兄と妹の心のつながりが感じられる一節で好きです、、、。(2002年冬詠)
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一本の矛立つごとしポポ枯るる
何度か登場したポポの木、大きな葉が黄葉し寒さに耐えていたが、霜が降りるようになるとあっという間に葉を落してしまう。まだ剪定をしていなかったこの年のポポの木は、葉が落ちると見事にすっきりとした形の立ち姿を現した。真ん中に真っ直ぐな幹、同じ高さの位置から対象に出た同じように天に向って伸びる枝、まるで矛のようだと思った。この年には大きくなり過ぎないように途中で切ったが、今度は切ったところから出た枝に対象に枝が付き、翌年には矛を傾けたような形の枝が出来た。木は柔らかく素直、朴の木を切るようだ、、、。(2010年冬詠)
熱燗やこのごろ慣れし厨事
熱燗の兼題で作ったこんな句が残っていました。もっとも、今更慣れたなんて言わなくても、昔からの事です、、、。熱燗もいいなあ、、、。(2002年冬詠)
コート脱ぐいざ出陣の納句座
明日は今年の納め句会、さてどうなることやら、、、。(2012年冬詠)
地震後の窓に静けき冬の月
鳥取県西部地震があったのがこの年(2000年)の秋だから、それより後の地震に敏感になっていた頃にあった小さな地震だったのだろう、目覚めると窓のちょうど見える位置に冬の月があった、、、。鳥取県西部地震があったのは、出張中の大阪の本社での会議中だった。相当揺れた。会議が終って部屋に戻ると「震源は鳥取らしいで、帰れんのとちゃうか」、慌てて電話を入れたが被害はなかったとの事だった。が、これを理由に早々に切り上げて帰途についた。高速道路はいつもより空いている感じがしたが、被災地へ向う自衛隊や放送局の取材用の車が何台も走っていた、、、。(2000年冬詠)
暮早し眉月高く光り初め
冬至。日の暮れがもっとも早いのは冬至よりも十日ほど前のようだ。掲句はそんな早い日暮れの頃、見上げた空に眉月が次第にその光を増し、存在を明らかにしていくのだった。ちなみに今年の今日は旧暦11月20日だから、月は既に満月を過ぎ、痩せ始めて朝の西空に残っている頃だ、、、。(2010年冬詠)
南国の冬コスモスと言ふべきか
四国に赴任したのは12月1日だったが、右折して会社のほうへ曲がる交差点の側の畑に、コスモスが咲いているのを見つけた。「へえ~っ、まだコスモスが咲いているんだ、やっぱり南国は違うなあ!」と車の中で一人感心した時に出来た句。それからしばらくは、毎日通る度に感心したのだが、そのコスモスがいつ無くなったかが記憶に無い。人間の記憶なんて、そんなものなのでしょうね、、、。(2011年冬詠)
残菊へ日差かたむく杣の家
急峻な山の斜面を削った僅かな平地に、山を背にして杣の家はある。家の前に狭い庭があり、その先はまた切り立った石垣となっている。覗くと足がすくむ高さだが、ギリギリの所に植えてある小菊の群と、それを倒れないように守っている杭と横に括った細い竹が、防護柵の代わりとなっているだけだ。夕日は谷を隔てた向かい側の山に沈んで行く。山の日暮は早い、、、。(2002年冬詠)
足元を猫すり抜ける歳の市
四国で見かけた商店街の風景、こういう商店街も少なくなりましたね、、、。(2011年冬詠)
ぽつてりと讃岐平野の山眠る
山の形は場所によってずいぶん違います。同じ岡山県内でも、私が育った備中地方の山と、現在住んでいる作州の山とは違っています。掲句は四国赴任中の休み明け、瀬戸大橋を渡り徳島へ向けて讃岐平野を走っていた車中から見た山の印象です。ぽってりと丸っこい、テレビで見る讃岐の名物の何かのCMのアニメの山そのものでした、、、。子どもの頃には見慣れた形で山の絵をずいぶん描きましたが、讃岐で育った子はきっとこのように丸っこい形の山を描くのだろう、と、走りながらふとそんなことを思いました、、、。(2011年冬詠)