池の近くを歩いていると、突然大きな水音がした。驚いて音のした方を振り向くと、跳躍した大きな鯉がちょうど水に沈もうとしているところだった。後には何重にも水輪が広がり、それが収まると何事もなかったように静寂だけが残った。それっきり鯉は跳ねなかった、、、。「古池や蛙飛びこむ水の音」よりも音は大きかったと思う、、、。(2011年春詠)
桟細き倉敷格子柳の芽
倉敷美観地区での句。朝のまだ人通りが少ない頃の美観地区が好きです。かといって、その頃なら良い句が詠めるかというと、そうでもない。たいていが倉敷に着く頃には、津山からの長旅の疲れで、頭は朦朧としていることが多い。七句の出句は至難の技で、ついついこんな句になってしまうのです、、、。ハ、ズ、レ、、、。(2011年春詠)
まんさくや不在てふ札表戸に
通勤途上にあった酒屋の女将さん。ご主人を亡くされ、サラリーマンの息子さんと二人暮しになり、今はとうとう店を畳まれてしまった。これはご主人が亡くなられてしばらく経った頃の句。犬の散歩や、近所にある公民館の花の面倒を見たりと、とにかくよく動かれる方で、店は留守のことが多い。とうとう「不在です」と書いた札を出されるようになった、、、。これって大丈夫(?)と思っていましたが、何もなかったようです、、、。店の前にはいつも季節の花を大胆に飾られて、それを見るのが楽しみで、何句も詠ませていただきました。この句もその一つ、、、。(2011年春詠)
天井の龍の大絵図冴返る
ご存知の総社市井山宝福寺仏殿の天井に描かれている龍です。長い間修理用の足場が組まれていましたが、もう終っていますね。宝福寺も四季それぞれの良さがありますが、人の少ないこの時季も良いものです。(2011年春詠)
日めくりや雨水一粒万倍日
降る雪が雨に変わり、積った雪や氷が解けて水になるとの意で、雨水という。 一粒万倍とは、一粒の籾が万倍にも実る稲穂になるという意、一粒万倍日は何事を始めるにも良しとする。会社の柱にかけてある大きな日めくりを見ていて見つけた、雨水と一粒万倍日が重なった日。それだけなのだが、なんとも春らしい日ではないか。なんて事を考えて喜んでいたのも今は昔、、、。(2009年春詠)
畦焼の煙わが家の二階まで
どちらが先にあったかというと田圃のほうだから、我家は文句を言えないが、ちょっと迷惑、いや大分迷惑な煙である。家が増えて田圃が減って、だんだんと煙が減って行くのも寂しい気がする、、、。おねしょをすると叱られながらも火遊びは好きだった。今考えてみれば危ないことですね、、、。(2011年春詠)
水ぬるむ川舟川におろされて
冬の間岸に上げられていた舟が川に下ろされる。国道53号線を岡山へ走っていくと、旭川沿いでよく見られる風景。やっと春が来た感じがする。カヌーが増えて来るのはもう少し先かな。こちらは明るい色が春を誘う、、、。(2010年春詠)
春寒やかたむき置かれ石祠
石祠にも大小いろいろありますが、黒い色の小さなよくある石祠です。大きな石の上に置かれたり、大木の走り根の上だったり、多かれ少なかれ傾いていることが多いですね。いつも石祠で詠みますが、実際は焼物のような気がします。神様に対して失礼ですが、昔の炬燵が良く似た色や形をしていたと思いませんか?石祠は一年中、何かにつけて詠んでいるような気がします。春には春の石祠です、、、。(2010年春詠)
義理チョコの小ぶりのリボン春浅し
ははは、小ぶりだからどうってことはないんだが、なんとなく義理チョコっぽく思えたものだ。昨年は四国で「一足早いですが」と帰る日にいただいた。あっ、お返しを忘れてる、ごめんなさい、、、。(2009年春詠)
空つぽの看護婦詰所春ともし
少し灯を落とした長い廊下の向こうに、煌々とした灯りを見せて看護婦詰所がある。父の病室はそこからさらに数部屋むこうになる。通りがかりに看護婦詰所を覗くと誰も居なかった。病院の夜の廊下に、昼間の喧騒は無い、、、。(2003年春詠)